ぴかぴかの500円玉

 

 

 

洋服の話をしようね。タイトルに意味はありません。服は好きですか?私は、たぶん好きです。

服が好きだという人は好きなブランドがあるイメージ。私は特にない。好きの基準は人それぞれだし、こだわるポイントも好みもそれぞれだ。

私はたぶん、服が好きなのではなく、自分が好きだ。自分をこう見せるために服を着る。みたいな生きものだ。

小さな頃の私は、お節介なおませさんだった。常に小さい子のお世話をしていたし、小学3年生くらいまでは、リーダーとか学級委員長とかそういうものを率先的にやるタイプだった。身長は普通より少し大きいくらいで、だいたい出席番号順が1番前で体育で一番最初になにかする人で、整列させる人だった。誰かの前に立って、自分を大きく見せて、誰かを引っ張っていくような女の子だった。頼られることは幸せだった。いろんなことを任せてもらえることが幸せだった。いつの間にかそれができなくなって、人の前に立つ人には、人に嫌われるそれなりの覚悟が必要だと学んで、小さくなった。身体が小さくなった訳ではないし、むしろふくよかな方である。そうではなくて。

私は、服を選ぶとき、自分が小さく見えるようなものを選ぶ。いや、今はそんなに気にしなくなったけど。たぶん、大学生になるときくらいは、できるだけ大人っぽくというより子どもっぽく、引っ張っていくような人ではなく、みんなに甘やかされて、可愛がられて、子ども扱いされるような雰囲気を纏いたかった。

私は服が好きだ。相手にこう見られたいからこういう服を着る。みたいな、印象操作ができるような気がするから好きだ。可愛く見られたいからこういう服を着る。大人っぽく見られたいからこういう服を着る。結局私は、昔からずっと、人の目を気にして生きてきた。

どう見えるかではなく、どう見られるかを常に気にしている。服が好きな人が新しい服を買っていて、「キレイめに見える服を買ってみた」って言ってた。かっこよかった、羨ましかった。私もそんな風に服を選びたかった。

私は1人で生きられます。ただ、1人で生きられそうって言われるような強そうな女になりたいわけではないんだ。甘やかしたくなるような、子ども扱いしたくなるような、守ってあげたくなるような、可愛らしい女の子に見られたい。そのために髪を整えて、化粧をして、服を着る。下着の色も服の系統も、誰かから見た私が、弱い私でありますように。助けてあげたくなるような私でありますように。黒も赤も封印して、白とピンクを身につけて、ふわふわと生きて生きたい。誰かに身を委ねて溶けるような時間を過ごしたい。1人で生きられるよ。でも、1人で生きたくないの。

 

 


Juice=Juice『「ひとりで生きられそう」って それってねえ、褒めているの?』(Promotion Edit) - YouTube