現存するすべての言葉の中で、私が選んだやさしさについて

 

たくさんの音楽があふれたこの世の中で、今もなお、新しい音楽を生み出してくれてありがとうという気持ち。

単純で真っ直ぐな歌では物足りなくなってしまったこの世の中で、高音であればあるほど良いみたいな風潮ができてしまったこの時代に、パクリだなんだと騒がれてしまう時代に、今も新しい音楽を作り出してくれてありがとうの気持ちでいっぱいですね。

私の人生に音楽は必要。

 

先日言語化が上手な人が好きというお話をしましたが、辞書の中の言葉を目一杯使って、今日もやさしい言葉を使ってくれる人たちのことが私は本当に大好きだという話。恵まれた環境にいる、私。

辞書にない言葉で滾らせてくれたって良いけれど、今ある言葉でさ、包み込んでくれたっていい。

バズなんて言葉、私が生まれた時代にはなかったんだからさ。

今日も生きててくれてありがとうね、大好きなんだ、私を取り巻く環境と、共に生きてくれる人たちがね。

 

 

好きの言語化は幸せなこと。

 

 

理由をつけて、仕事を2日サボりました。

 

1日目は怠惰も怠惰。そしてその怠惰を責め、虚無になる。身にならない1日。そんな日が、あったっていい。

 

2日目は余白。

本屋に行って、今日読む本を買った。カフェでご飯を食べて、お茶をしながら(りんごジュース…)、本を読んだ。必要なものを買いに行って、また別のお店に入って、脳みそを空っぽにするために、ノートに気ままに文字を書いた。歩いてるときはどんどん思い浮かぶ好きが、立ち止まるとどうも、言葉にできないのはなぜだろう。

先日ブログに書いた通り、配信を聞くのにハマり、好きな声を見つけた私なのですが、声を基準に好きを辿ると、自分の好みがやっと分かったような気がしたので、記録しておきたい次第であります。

私は低音が好きですが、所謂低音の、もうひとつ下。それに、穏やかで、おっとり喋る人が好きで、やさしい言葉を使って生きてくれる人が好き。

最近お気に入りの配信者さんの固定キャラは髭ロン毛だし、今日見かけて惹かれたコミックエッセイ(?)の、全てのネガティブをプラスに変える夫 髭さんもそう。私の好きな声は細谷佳正さんの声で、その声の中で一番好きなキャラはハイキュー!の東峰旭。も、髭ロン毛だな…私が細谷佳正さんの声で初めて好きになったのは、黒崎龍之介…髭はないがロン毛ではあり…

好きな声を辿ると、髭ロン毛が好きな可能性が非常に高い。が、数年前から私は、一途に黒髪パーマ推しである。

黒髪パーマに髭を冷やして、声が低くて、穏やかにお話して、言語化が上手な人…

もとを辿ると人生で一番好きだった人に辿り着く…今何してますかね?バイクに乗って、コーヒーを嗜んで、きっと猫と暮らしてる。結婚したけど。まだ歌は歌っているだろうか。

と、なんとなくこう考えているのが、とても良い時間だなぁというのが今日。

いつもだったら食べ終わってもなんか小腹がすいてるなぁなんて思ってしまうカフェのランチも、心の余裕と、時間の余白があるとなぜか、お腹も満たされてしまう。なんて魔法。

お気に入りのお皿に盛るとか、自炊でいつもより1品増やしてみるとか、友達とご飯を食べてみるとかね。

たぶん、心を満たせばゼロカロリーだと思う。

 

10時半頃家を出て、モバイルバッテリーを忘れて家に立ち寄って20分仮眠をとった以外は、19時までずーっと外にいる。そんな1日。何の予定もないのに、8時間時間を潰せてしまう私。1人で時間を潰すのが特技です。そりゃ、1人の時間も必要になりますわな。待ち合わせ時間に30分遅刻程度では怒りませんよ。と、いうか、怒りません。

 

穏やかに生きていきたいです。今日も、明日も。大好きな人たちと健やかに。

 

 

僕らはみんな生きている、生きているからふんふふふん

 

 

元気ですか?私は元気です。

最近私は、配信を聴くことにハマっておりまして、好きな声というものに気づきまして、ただそれは好きな周波数というだけではなく、耳触りが良いというのでしょうか、耳の気持ち良さでいうと、話し方もとても重要なのだなと気付いた次第です。

最近私は自分の年齢と精神年齢の乖離に悩んでおりまして、生きるのが難しいなと落ち込んでおります。

ギリ、愛犬に癒されることで保っているというようなそんな日々。

このギリギリの感じがまた、気持ち良い、とも言う。

というのはさておき、人間関係において、肩書きが変わってしまうのはやはり何歳になっても怖いもので、友達から恋人へ、恋人から家族へなど、そんなのもありますが、細かく分けたらもっとあるわけで…

もう何もかわりたくないよというのが本音です。

詰めた距離は、忙しさとか時間とかで少し離れてしまうけれど、時々タイミングが合った時に、また詰め直す、なんてのが気持ち良い。

これからも、私は私で、あなたはあなたで、生きていきたい、生きてほしい。

 

 

 

自分を捨てて自分を知って自分を手に入れる話

 

 

いいことあった?最近。

私はないけど、いろいろあって、自分を見つめる機会になるなどしました。

 

なんかこう、私に非があって起きた出来事があったんですけど、なんとも私が一生根に持ちそうなことを言っていただいて、仕事のときもどんなときもその言葉をぐるぐるぐるぐるしてしまっている、そんな日々。

 

もちろん相手の言うことは正論で、私に非があることもわかっていて、反省もしていますが、だいぶ精神的にダメージで、まぁそれが相手の目的で、それですっきりするのであれば、罪滅ぼしということにしておきたいとも思う。いやいや、ちゃんと伝えてくれるのは優しさとも言える。だがしかし、可能であればもう忘れてしまいたい。

 

ということで私は最近、自分が身を置く環境とか、自分の心地の良いこととか、そんなことを考えて、生活を変えてみるなどしています。

 

筋トレしてみたり、本を読んでみたり、ドラマを見てみたり、なんかこう、好きだったことをちゃんと好きだと思い出すことができる日々を送っています。

 

私は本を読むことが好きだけれど、それ以上に、本屋が好きなんだなあということとか…

本日も本屋に立ち寄りまして…小説を買おうと見ていたのですが、欲しいものありすぎるだろと考えながら店内を物色していて、漫画のコーナーを見たり、かつて好きだったホラー作家さんを調べて亡くなっていることを知ったり、好きだったなぁこれを見て回り、とても幸せな気持ちになりました。

 

あのバンドが好きなことも、アニメが好きなことも、始まりは自分ではなくて誰かの影響で、そんなのが心地良い時もあったけど、それと同時に自分を失っていたのだなと実感。

 

私がちゃんと私で、自分の好きをちゃんと好きだった頃に戻るのが最近の目標です。

自分のことも好きでありたいけどね。

 

さぁ、今日も、スマホを閉じて早く寝ますからね。

おやすみ。

 

 

 

最悪な私が、最高な歌に出会ってしまった話

 

最近は歌について語ったり、人にお気に入りの歌を聞いてプレイリストを作るなどしたり、新しいイヤホンを買ったり、音楽浸りな日々。

 

私は学生時代、音楽をものすごく聴いていて、好き嫌いはあれど、いろんな音楽に出会ってきたのは、ドラマとかアニメを見漁るテレビっ子だったということと、親がラジオとか音楽が好きで、移動の車の中では絶対に音楽が流れていたし、大合唱だったからなのだと思う。家族全員誰も音楽関係の道に進んでいないのは、趣味の範疇の音楽の嗜みだということ。

 

まぁ、幼少期から兄弟揃ってピアノを習っていて、兄が一時期けいおん!にハマってギターを弾き出したり、私がアコギを購入して練習するなどの期間はあったが、音楽を楽しむのが好きだったのだ幼き頃から。

 

一人暮らしでテレビを持たなくなってから、音楽離れをし、好きな曲しか聴かない時期を経て、大学時代にカラオケバイトをすることで、最新の曲をずっと耳にし続けるという時期もあった。そして今、私はどこで音楽に出会って良いのか分からない。この年になると、食わず嫌いなジャンルもあるが、いろんな音楽に出会いたいという気持ちは変わらない。

 

ただし、昔のように歌詞が良いというだけで好きになるというよりは、曲も詞も歌い方までも聞いて聴いて聞き倒すような大人になってしまったので、少々面倒ではあるが、人との出会いと同じくらい、いやそれ以上に音楽に出会いたいんだ、今の私は。

 

こういう文章でも許してほしい気持ち。

人に依存しない文章………音楽も男の影響な我が人生………

もうちょっと自分の足で立ちたいものね。

 

 

https://youtube.com/watch?v=K-3LQ9A2ecY&si=Pe3rPW3v15tOMeoq

最高な歌

好みの話と夢心地

 

 

最近、新しい何かを始めてみまして…

配信アプリで好きなことを話して、仲良い人の配信に行ってなどという古の記憶が蘇るなどしています。

 

良い出会いがあったとともに、気づいたことがありまして、それは、自分の承認欲求が悲しいことに何も変わっていないという点と、ネットリテラシーのなさですかね。

いやいや、あるだろ、ネットリテラシー。顔出してないし。たぶん。

 

なんてまぁ、そんなことは良くて、承認欲求云々に関しては、そんな自分のことが心底嫌いだということと、それを実感した出来事を自分ではない誰かもしていたときに、その人は受け入れられていたことが悲しかったんだろうなと…

 

長い近況報告で失礼しました。好みの話をしましょうか。

 

好みというものは、経験からくるもので、好きなタイプとか好きな音楽とかは、大げさに言ってしまえば生き様が出るのではと思っているわけです。

 

過去の未練から来るめがね好きとか、美化された思い出故の歌うまい人が好きとか、知性を感じる言葉遣いが好きとか、品性があると良いとか、ユーモアが欲しいとかね。

まぁそんなこんなで、低音配信者を好みがちな私ですが、その中にすごく素敵な人がいたので、あぁ、素敵だな、と思ったところを書き殴ります。

 

・使いたい言葉リストを作ってる

↑これめちゃくちゃ良くないですか、中身をちょこっと教えてもらったんですけど、その言葉を使うためとか使わせるために頭をフル回転させながら話すのがとてつもなく楽しいなと思ったので私も作りました

 

・人にすすめられた音楽を入れるプレイリストがある

↑これ、私のおすすめも仲間に入れてもらったのですが、本当に感動した。私は結構、人のおすすめの曲って聴く方で、私の人生にその人の色がつくようなそんな感覚がすごく好きだったんですけど、自分のおすすめの曲を聞いてもらえたことって、学生時代から本当になくて、聴く必要はないけどさ、聞いてよなんて思うさみしい人生を送ってきたので、こういう人もいるんだと胸を打たれました。

 

特に感動したのはこの2つですかね?

私はこの好きを、終わりのある恋と勘違いしたくないので、末永く見守って…?関わって…?いきたい人だなあと思っています。名前も、年齢も、どこに住んでいるかも、何をしているのかも知らない人。

 

いいんです、それで。程よい距離感が、心地の良い空気を生み出すのですから。

 

その人ではないのですけれど、声だけの配信で、抽象的な絵を描いてみようと言ってそれぞれお絵描きをして見せ合うなんて配信もありまして、私はそれが、すごく気持ち良くて心地良かったなんてこともあります。

 

人と関わることが苦手な私が、人懐っこいと言われるような人格を形成して、なんだかむずむず、もやもや生きていたけれど、私はたまに感じられるこの言い表せないふわふわとした心地良さを大切にしていきたいなと思いました。

 

 

私は今までと何も変わらぬこのごちゃごちゃした文章が好きなので、引き続き生きていこうね、穏やかに。

 

 

 

ガチ価値勝ち

 

自分の価値について、ずーっとずーっと考えていた。

大学生くらいの頃から特に強く考え出したような気がする。

 

【ルッキズム】な現代、見た目の価値が“全て”とは言わないけれど、見た目で判断されることが増えて、そしてそれを問題視するなんてまぁ面倒な世の中…

 

昔からアイドルが好きで、それを基準に生きてきて、自分は劣っていて、価値がないと思っていた。

自分の見た目に自信はなくて、見た目のせいでいじめにあって、さらに自信をなくして、自分の価値はないんだなぁと始まった中学2年生頃のお話…

 

人生の半分をマスクがお友達で過ごしてきた。

いや、半分になる前に一応卒業はしているかも…

今でも私は見た目に囚われている。自分で雁字搦めにしている。ただ、関わる人を変えて、人からの見られ方までは気にしなくなったのかも…?

そのせいで太ったのかも笑

 

いや、でもね、関わる人を変えるって大事だ。

私は今、見た目に囚われすぎている。でも今までとは違う。

 

古の私は見た目がだめだから価値がないと思っていた。いや最近まで思っていたかも…

やっと変われたなあと少し思っている。見た目に魅力がなくても戦える。私の価値はそこだけではない、と、最近思えている。

 

私は、仕事がめちゃくちゃできるというわけではないけれど、できないに分類されるわけでもない。

自分の技術に自信はある。一番になれるとは思っていないけれど、自分の技術の魅力と価値は理解した上で戦って、私以外他店舗からの異動スタッフの中、数字をそれなりに取って初めましての中、初月から2位の数字を叩き出しているんだ。

 

と、仕事での価値も見出だせて、そして今まで囚われてきた見た目の価値の拘束からも抜け出せかけていて、自分の価値を見出しつつある。

私も戦えるぞ、、、