自分を捨てて自分を知って自分を手に入れる話

 

 

いいことあった?最近。

私はないけど、いろいろあって、自分を見つめる機会になるなどしました。

 

なんかこう、私に非があって起きた出来事があったんですけど、なんとも私が一生根に持ちそうなことを言っていただいて、仕事のときもどんなときもその言葉をぐるぐるぐるぐるしてしまっている、そんな日々。

 

もちろん相手の言うことは正論で、私に非があることもわかっていて、反省もしていますが、だいぶ精神的にダメージで、まぁそれが相手の目的で、それですっきりするのであれば、罪滅ぼしということにしておきたいとも思う。いやいや、ちゃんと伝えてくれるのは優しさとも言える。だがしかし、可能であればもう忘れてしまいたい。

 

ということで私は最近、自分が身を置く環境とか、自分の心地の良いこととか、そんなことを考えて、生活を変えてみるなどしています。

 

筋トレしてみたり、本を読んでみたり、ドラマを見てみたり、なんかこう、好きだったことをちゃんと好きだと思い出すことができる日々を送っています。

 

私は本を読むことが好きだけれど、それ以上に、本屋が好きなんだなあということとか…

本日も本屋に立ち寄りまして…小説を買おうと見ていたのですが、欲しいものありすぎるだろと考えながら店内を物色していて、漫画のコーナーを見たり、かつて好きだったホラー作家さんを調べて亡くなっていることを知ったり、好きだったなぁこれを見て回り、とても幸せな気持ちになりました。

 

あのバンドが好きなことも、アニメが好きなことも、始まりは自分ではなくて誰かの影響で、そんなのが心地良い時もあったけど、それと同時に自分を失っていたのだなと実感。

 

私がちゃんと私で、自分の好きをちゃんと好きだった頃に戻るのが最近の目標です。

自分のことも好きでありたいけどね。

 

さぁ、今日も、スマホを閉じて早く寝ますからね。

おやすみ。

 

 

 

最悪な私が、最高な歌に出会ってしまった話

 

最近は歌について語ったり、人にお気に入りの歌を聞いてプレイリストを作るなどしたり、新しいイヤホンを買ったり、音楽浸りな日々。

 

私は学生時代、音楽をものすごく聴いていて、好き嫌いはあれど、いろんな音楽に出会ってきたのは、ドラマとかアニメを見漁るテレビっ子だったということと、親がラジオとか音楽が好きで、移動の車の中では絶対に音楽が流れていたし、大合唱だったからなのだと思う。家族全員誰も音楽関係の道に進んでいないのは、趣味の範疇の音楽の嗜みだということ。

 

まぁ、幼少期から兄弟揃ってピアノを習っていて、兄が一時期けいおん!にハマってギターを弾き出したり、私がアコギを購入して練習するなどの期間はあったが、音楽を楽しむのが好きだったのだ幼き頃から。

 

一人暮らしでテレビを持たなくなってから、音楽離れをし、好きな曲しか聴かない時期を経て、大学時代にカラオケバイトをすることで、最新の曲をずっと耳にし続けるという時期もあった。そして今、私はどこで音楽に出会って良いのか分からない。この年になると、食わず嫌いなジャンルもあるが、いろんな音楽に出会いたいという気持ちは変わらない。

 

ただし、昔のように歌詞が良いというだけで好きになるというよりは、曲も詞も歌い方までも聞いて聴いて聞き倒すような大人になってしまったので、少々面倒ではあるが、人との出会いと同じくらい、いやそれ以上に音楽に出会いたいんだ、今の私は。

 

こういう文章でも許してほしい気持ち。

人に依存しない文章………音楽も男の影響な我が人生………

もうちょっと自分の足で立ちたいものね。

 

 

https://youtube.com/watch?v=K-3LQ9A2ecY&si=Pe3rPW3v15tOMeoq

最高な歌

好みの話と夢心地

 

 

最近、新しい何かを始めてみまして…

配信アプリで好きなことを話して、仲良い人の配信に行ってなどという古の記憶が蘇るなどしています。

 

良い出会いがあったとともに、気づいたことがありまして、それは、自分の承認欲求が悲しいことに何も変わっていないという点と、ネットリテラシーのなさですかね。

いやいや、あるだろ、ネットリテラシー。顔出してないし。たぶん。

 

なんてまぁ、そんなことは良くて、承認欲求云々に関しては、そんな自分のことが心底嫌いだということと、それを実感した出来事を自分ではない誰かもしていたときに、その人は受け入れられていたことが悲しかったんだろうなと…

 

長い近況報告で失礼しました。好みの話をしましょうか。

 

好みというものは、経験からくるもので、好きなタイプとか好きな音楽とかは、大げさに言ってしまえば生き様が出るのではと思っているわけです。

 

過去の未練から来るめがね好きとか、美化された思い出故の歌うまい人が好きとか、知性を感じる言葉遣いが好きとか、品性があると良いとか、ユーモアが欲しいとかね。

まぁそんなこんなで、低音配信者を好みがちな私ですが、その中にすごく素敵な人がいたので、あぁ、素敵だな、と思ったところを書き殴ります。

 

・使いたい言葉リストを作ってる

↑これめちゃくちゃ良くないですか、中身をちょこっと教えてもらったんですけど、その言葉を使うためとか使わせるために頭をフル回転させながら話すのがとてつもなく楽しいなと思ったので私も作りました

 

・人にすすめられた音楽を入れるプレイリストがある

↑これ、私のおすすめも仲間に入れてもらったのですが、本当に感動した。私は結構、人のおすすめの曲って聴く方で、私の人生にその人の色がつくようなそんな感覚がすごく好きだったんですけど、自分のおすすめの曲を聞いてもらえたことって、学生時代から本当になくて、聴く必要はないけどさ、聞いてよなんて思うさみしい人生を送ってきたので、こういう人もいるんだと胸を打たれました。

 

特に感動したのはこの2つですかね?

私はこの好きを、終わりのある恋と勘違いしたくないので、末永く見守って…?関わって…?いきたい人だなあと思っています。名前も、年齢も、どこに住んでいるかも、何をしているのかも知らない人。

 

いいんです、それで。程よい距離感が、心地の良い空気を生み出すのですから。

 

その人ではないのですけれど、声だけの配信で、抽象的な絵を描いてみようと言ってそれぞれお絵描きをして見せ合うなんて配信もありまして、私はそれが、すごく気持ち良くて心地良かったなんてこともあります。

 

人と関わることが苦手な私が、人懐っこいと言われるような人格を形成して、なんだかむずむず、もやもや生きていたけれど、私はたまに感じられるこの言い表せないふわふわとした心地良さを大切にしていきたいなと思いました。

 

 

私は今までと何も変わらぬこのごちゃごちゃした文章が好きなので、引き続き生きていこうね、穏やかに。

 

 

 

ガチ価値勝ち

 

自分の価値について、ずーっとずーっと考えていた。

大学生くらいの頃から特に強く考え出したような気がする。

 

【ルッキズム】な現代、見た目の価値が“全て”とは言わないけれど、見た目で判断されることが増えて、そしてそれを問題視するなんてまぁ面倒な世の中…

 

昔からアイドルが好きで、それを基準に生きてきて、自分は劣っていて、価値がないと思っていた。

自分の見た目に自信はなくて、見た目のせいでいじめにあって、さらに自信をなくして、自分の価値はないんだなぁと始まった中学2年生頃のお話…

 

人生の半分をマスクがお友達で過ごしてきた。

いや、半分になる前に一応卒業はしているかも…

今でも私は見た目に囚われている。自分で雁字搦めにしている。ただ、関わる人を変えて、人からの見られ方までは気にしなくなったのかも…?

そのせいで太ったのかも笑

 

いや、でもね、関わる人を変えるって大事だ。

私は今、見た目に囚われすぎている。でも今までとは違う。

 

古の私は見た目がだめだから価値がないと思っていた。いや最近まで思っていたかも…

やっと変われたなあと少し思っている。見た目に魅力がなくても戦える。私の価値はそこだけではない、と、最近思えている。

 

私は、仕事がめちゃくちゃできるというわけではないけれど、できないに分類されるわけでもない。

自分の技術に自信はある。一番になれるとは思っていないけれど、自分の技術の魅力と価値は理解した上で戦って、私以外他店舗からの異動スタッフの中、数字をそれなりに取って初めましての中、初月から2位の数字を叩き出しているんだ。

 

と、仕事での価値も見出だせて、そして今まで囚われてきた見た目の価値の拘束からも抜け出せかけていて、自分の価値を見出しつつある。

私も戦えるぞ、、、

 

 

 

 

 

しあわせとは

 

 

結婚して、子どもをうむことが、共通認識として幸せというのであれば、それほど楽なことはないのではないか。

 

結婚して、子どもをうむことが簡単だと思えるほど、今の日本は優しくないのだと思う。

 

そして、結婚出産を幸せと一括りにする時代はもう終わっている。時代遅れだ。

 

将来の不安をすべて取っ払えるほどの大金が宝くじで当たったのなら、私も結婚するかもね。っていうかもうしてたかもね。

 

あの子が羨ましいと思ってしまうのはきっと、幸せそうだからではなく、不安がなさそうだからなんだろうな、、、

 

親友が結婚する夢を見た。幸あれ

 

 

 

私が望んだ忘れられないもの

 

 

好きなバンドの話ではなくて、

大好きだった人がボーカルをやっていたバンドの話。

 

私と出会うずっと前の話だから、

この歌が私のためなわけがないのだけれど、

私の助けを呼ぶ声は聞こえるような気がして?

 

私は聴くたびに救われてしまうという話、、、

 

雨上がりの水たまりみたいなキラキラした音楽と

雨みたいな声がだーいすきなんだ

 

もうこの先の私の生きる道にきみはいないのだろうけど、

私の人生にはたしかにきみがいたいんだなあ

 

あの頃とは形の違う大好きを実感させてくれて、

あの頃の大好きを忘れないために

私は今日もあなたが作った音楽を聴くのです。

 

世界と交わした約束を破ってでも見つけなきゃいけないものがあったんだよね、

 

それがあなただったのかもーーーーーうそだけど。

今という結末が、きっと一番の幸せなのだと

 

過去の私の好きをぜーーーんぶ正解にするために、

私はあなたが作った音楽を聴き続けるのです。

 

 

 

懐かしい気持ちの朝を迎えて、

懐かしい音楽を聴いて、

鮮度の高い文章は書けるだろうか。

 

バスも電車も大好きで、その理由は音楽があったからで、

安いイヤホンでも、色のついた音楽があれば、

雨でも、雪でも、人混みでも愛せたなあ、、、なんて。

 

あの頃よりも泣くことは明らかに減っていて、

人を想って泣くことも、辛くて泣くことも、

今はほとんどなくて、ただ、懐古に浸ると、いつでも涙が出てしまうなあ。

 

好き と すき の違いとか、あとなんだっけ。

思い出せないことも全部含めて、

錆びついた何かも全部たからものだねーなんて思ういい朝。

 

人生最後の日に君がいないことも

きっと今の私なら信じちゃえるし、

全部受け入れられちゃうんだろうな

 

そんなのも全部全部含めて良い人生だったなとか

思っちゃったりするんだと思うんだよ。

 

将来は不安だし、やり残したこともたくさんあるし、

毎日が充実してるかはさておいて、

それも全部含めて私は受け入れちゃうんだろうね。

 

でもでもでも

人生最後の日に私がいないことを

信じられない誰かがいてくれたらいいな

 

 

 

なんてね、