音楽は自由でありたいけれど、嫌いな奴は嫌いなのだ。

 

 

どんな曲でも、好きだと思ったら好きでいたい。

きゅるきゅるのアイドル曲が好きだからって、攻撃的なHIPHOPを聴かないなんてことはない。バンドが好きだからって、オーケストラを聴かないなんてこともない。

邦楽も洋楽も、今流行りのK-POPも、歌詞のない芸術音楽でさえも、好きなものは好きなのだ。

そして、嫌いな奴のことは嫌いなのだ。

あの頃聴かせてもらって大好きになった曲を、一緒にいることをやめた日から聴かなくなって、きみのことを嫌いになった。いや、

なんかよくわからないけど、

聴くと思い出す記憶が、尊くて仕方がない。嫌いになったはずのきみのことが、尊くて仕方がないよ。記憶というものはそういうものだ。

音楽と匂いと、たくさん一緒に歩いた道は、振り返ると何故か尊くて、擽ったくて、苦しい。あぁ、私は吉祥寺を歩けないな、井の頭公園を歩けない。

 

あの頃のあの人は何してるだろうとか、教えてもらったバンドの曲を聴き始めちゃって、なんかこう考えてみることがあるのだけど、悪いことを思い出そうと思っても、私は思い出せないんだなあ。嘘だけど。

過去の女の話、私は全然聞くけどさ、悪い言葉なんて聞きたくないんだなあ。未練たらたらでも良いから、「大好きだった人のこんなところが好きだった」って話が聞きたいな。ここが嫌いで、ここが嫌いで、なんて話、いつか私がきみと離れることがあったとき、私のこともそんな風に言うのかなあとか考えちゃうからね。

どれだけ酷いことをされても、それを覚えていても、忘れられない言葉が今でも私を傷つけるものだとしても、それも全部思い出にして、ベランダ向いてタバコを吸いながら、私が笑ってる顔を褒めてくれたことをちゃんと覚えていたいよ。

「好きだよ」の言葉が嘘だったのではなくて、私がちょっと勘違いしちゃっただけなんだって思いたい。きみを嘘つきにしたくないからね。本当はきみのこと嫌いになんてなりたくないからね。今でも好きだと言えてしまうのが嫌だなあ、尊い思い出も、音楽も、きみも。