我が人生

 

 

人を好きになって、人に好かれて、そういう生き方が、そういう人生が、幸せだと思っていた。いや、実際、幸せなのかもしれない。もしかしたら。

ただ、実体のある人間に対しての好きは、形のない何かを求めて、期待して、思考して、苦しむことの方が多い。

私は、何かに期待して、実体のある人間の好きな漫画を読んでみる。有名な、人気な、流行りの漫画を読んでみる。もちろん、面白くて、心は熱くなって、満たされる。ただその感情の次に来るのは、この漫画を好きな私の好きな人は、私のこの感情をどう思うだろうかということ。この漫画を読み切れば、少しは私に興味を抱いてくれるかもと思ってしまうこと。だから私は感想を呟いて、好きな人からの反応を待つのだと思う。期待。

好きな人の好きなバンドの曲を聴いた、アニメを見た、漫画を読んだ。好きな人が好きだから好きになろうと努力した。好きってなんだったっけ。

私は、InstagramとかTwitterとか、広告で出てくるような漫画を読むのが好きだ。知ってる人は知っている、アニメにもならない、クラスメイトに聞いても、1人知っていればいい方くらいの漫画。漫画の登場人物の台詞に感銘を受ける。この人みたいになりたいと憧れる。そんなことが多い我が人生。私はそれが幸せだった。

実体のない空想上の人物は、いつも綺麗だった。醜ささえも愛してしまうほど、魅力的だった。私はそれがたまらなく好きだった。期待なんてしない。作者に表現されたそれが全てだから。生きやすい、気持ちの良い空想の世界。

 

 

イヤホンが壊れた。気分が落ち込んだ。しばらく元気がなかった。イヤホンが壊れただけなのに。いや、本当は、落ち込んでいた理由はそれだけじゃないはずなのだけど。

私は思った以上に、単純だった。新しいイヤホンを買った。ちゃんと接続される。両耳で綺麗な音が聞こえる。大好きな音楽が、どこでも聴ける。イヤホンの素晴らしさに感動をして、ずっと音楽を聴いている。我が人生。

音楽が好きだ。その曲を、その歌詞を、表現した人のことを好きかどうかは別として、完成されて、私の耳に届いたその音楽は、きっと私を裏切らない。たとえ、その曲を作った人が私を裏切ったとしても。

 

生き方なんてなんでも良くて、どうでも良くて、ただ私が幸せならそれでいい。誰かの何かになりたくて、誰かの好きを自分のものにしたくて、実体のある人間に期待をして、自分の幸せを見失う。それも良しとする。

ただ私は、今日も憂鬱だ。洗濯しなきゃ、あぁ、片付けも。何もできない。だから私はだめなんだ。そんな私も、良しとしたい。

裏表があることが悪なんじゃない。裏も表もそれ以外も、全部私で、あれもこれもそれもどれも、全部、ぜんぶ、良しとする。

 

 

「立派に生きる」

「死ぬ」の間には

 

たくさんの

だらしない

生き方がある

 

それでいい、だって生きているのだから。