なりたい私の話

"すき"と"好き"を区別するように、"こころ"と"心"を区別したいそんな朝だった。

ここに存在している私の心は、誰かを求めていて、誰かに嫌われたくなくて、誰かのために生きていたくて、たぶん、とても人間臭いのだと思う。おなかはすくし、眠いし、ちゃんとセックスがしたい。そんな私なのだと思う。その自分を受け入れた上で、私はちゃんと自分を褒めたい。生きていてえらいし、今日も可愛い。

私のこころは、誰かなんて関係なくて、空が白いことも、生ぬるい空気も、嫌いにはなれなくて、たぶんそれをすきになろうとする自分のことが好きだ。

人の表現でこころが動いて、大好きな人の歌を聴いてこころが動くの、人の優しさで幸せを感じたのは、"こころ"か、"心"か。

人に嫌われたくないとか、良いように思われたいとか、無理をしているわけではないのだけど、一緒にいる相手に合わせている自分がいる。そういう性質なだけ。無理なんかしてなくて、やめてほしいと言われでもやめられないと思う。たぶんこれは、私の心が、一緒にいる誰かに嫌われたくないって思ってるってことなのだと思う。私のこころは、自由でありたいと言っている。人の目を気にせず、自分のやりたいことをして、自分の好きに素直で、素敵なことは素敵だと言って、綺麗なものは綺麗だと言うそんなこころが私もほしいのだと思う。

私は思っているけど、私のなりたい私は、ちゃんと言うのだと思う。心で思う何かではなく、こころでお話をする。分かった?"こころ"と"心"の違い。

好きな人に好かれたい私は、きっと、素敵なこころの持ち主でありたいんだ。

海を見てはしゃぐ私を"すき"でいてほしい"心"と、海を見て涙を流す私を"好き"でいてほしい"こころ"の話。

どっちが良いとか悪いとかそういう話ではないけど、雨が降って、じめじめして嫌だなあっていう私のことも、雨の匂いを感じて、雨に濡れることを幸せだとする私のことも、ちゃんと受け入れてほしい話。