部屋の端っこ。

 

 

 

私の好きなところってどこなんだろう。聞いてみたいな。もしかしたら、私が人生で経験した恋とかいうふわふわした物語に出てくる登場人物のほとんどが、誰かに恋している私は可哀想で好きだった。のかもしれない。私の好きな私って、好かれたことあるのだろうか。私の何に魅力を感じて、一緒にいたのだろうか。可哀想な私とか献身的な私とかもしかしたら、身体だけの私とかね。何に価値があったのだろう。たとえそんな私でも、好きでいてくれてありがとうって思うよ。ただ、何かを考える私は、きっと魅力的じゃなかったんだなあって。

私の表現はたぶん、誰かに対しての私より、私だ。私の聴く音楽を聴いて、私の撮った写真を見て、私の書いた文章を読まなきゃ、私のことなんて知れないのかもしれない。けど、全部知ったら、嫌いになっちゃうね。

ただ知ってほしいだけだった。好きになんてならなくていいの。嫌いにならないで、私はこの文章を読んでいるあなたのことを考えているからね。好きよ。

 

私は、誰かのことを知れていたのだろうか。私の知らないあなたを、きっと誰かは知ることになるのね。寂しくてたまらないや。私はそのまま受け取るから。あなたの嫌いなあなたじゃなくて、あなたの好きなあなたを教えてほしい気持ち。私の嫌いな身体じゃなくて、顔じゃなくて、声じゃなくて。私の言葉と思考と表現と。褒めてほしかった。受け入れなくていいから、知ってほしかった。使い古したスポンジみたいに吸わなくていいの。水を弾く新品みたいな、そんな感じでいいよ。ただそこにいさせてほしかったな。

その1文字も、ひっくり返った言葉も、てんもまるも、私は大好きだから、読んでいてほしかったな。

 

それだけでよかった。

 

 

これ以上知ろうとしたら、嫌いになってしまいそうだから、私は好きを閉じ込めて、良い思い出を綴っていたいよ。目を閉じて、耳を塞いで、蹲っていたいよ。