距離感を掴むのが得意だ。
初対面の人とどの距離感で話して良いのか、瞬時に判断して接するのが得意だ。
お店にとってお客様との距離感はこうであるべき。
自分の心を保つのにスタッフ、お客様との距離感はこうであるべき。
自分のことを好いてくれる人との距離感はこうであるべき。
オタクとして、推しとの距離感はこうであるべき。
こんなのは全て、HSPでINFJな私にとっては、子ども用の8ピースパズルくらい簡単だ。
好きな人との距離感も、私はいつも一定だ。
結ばれたいけど、結ばれたくない。嫌われるくらいなら、好かれなくて良い。嫌われない距離感を、ずっとずっと保っていた。保てると思っていた。
難しいのは、"好き"という感情との距離感だった。
自分なんかが誰かを好きになって良いのかとか、好かれて迷惑ではないかとか、どの程度の好きなら許されるのかとか。
オタクとしての好きなら許されるけど、恋愛の好きとか、特別に好きは許されないと思っていた。
"好き"と上手く付き合えなくなった。
結果、距離感も分からなくなった。
自分の気持ちと、自分の立場と、相手から見た自分と、とかいろいろ考えてしまうんだね、
真っ直ぐな好きほど難しいものはないよ。
思考がいつだって紆余曲折してしまうのだから。
いや、でも、考えて考えてぐるぐる考えて、たどり着いた先にあるのは、不器用なりに、真っ直ぐにあなたのことが大好きだったのだなあということね。
あぁ、いつか人生で一番好きだった人に言われたような気がした。
私はいつだって不器用に恋をするのだ。
いや、なにもかも不器用なんだなあ
穴の空いたバケツに蓋をしてくれる人がいたらいいね。
心に溜まった水を適度に流してくれて、バケツを軽くしてくれる人がいたらいいね。