紙煙草を吸う自分のことが好きな人

 

 

 

周りにいた喫煙者が、こぞって電子たばこに替えて、自分の周りにはもう紙煙草を吸う人が少ないのだけど、電子たばこの匂いに慣れたせいか、紙煙草はなんとなく煙たいような気がして、臭いがきついような気がして、私にその臭いがつくのはおかしな話なので、必死で消臭するけれど、嫌いにはなれないんだなあ。

私は煙草がきらいだけど、好きなのだと思う。吸ってる人も臭いも味も思い出も、だいきらいだけど、好きなのだと思う。

日頃iQOSを吸っているけれど、紙煙草を吸っている自分が好きだって言いながら吸う人がいたよ。たぶん、私の好きな人もそういう人なんだろうなと、勝手に重ねて眺めてみるけれど、私にとっての煙草は、きらいな何かでしかなくて、そこに人とか思い出があるからちょっと好きになれるだけなんだ。

 

私が人生で一番好きだった人のことが忘れられなくて、その人の吸っていた煙草の銘柄を忘れられなくて、なんとなくその煙草を持ってはいるけど、吸う気なんてない。煙草はまずいので。ただ、なんとなくもやもやして、自分の感情とか、人の感情に振り回される自分とか、なんとかこう、抗おうとして、なんとなく悪ぶって吸おうとするけれど、吸った瞬間の不快感で、そのまま煙を吐き出してしまうな。

それだけでも、人生で一番好きだった人の匂いだなあとか思ってしまって、もう5年も前の話だし、思い出も美化されて、覚えてることなんてほとんどないはずなのに、変わらない匂いが何となく記憶を甦らせてくれるような気がしている。気がするだけ。

人生で一番好きだった人に会えるかもしれなかった日があって、その人の誕生日の前日で、私はなんだかんだ毎年自分と葛藤した結果、お誕生日おめでとうってLINEしてしまっていて、もしかしたら今年は、直接言えちゃうかもななんて期待をしていた。まぁ、私が会えないと言ったのだけど。

会えていた時はなんだかんだプレゼントを渡していて、まぁ、その詳細は残酷なものなので言わないけど、もし会えるのなら、何をあげればいいんだろうなとか、そもそもあげるべきなのかとかいろいろ考えて、もし、もし会えたら、あの日きみが吸っていた煙草を持って行って、1本だけきみの口に運んで、私が火をつけて、おめでとうって言いたかったな。いや、煙草やめてたらできないし、たぶん吸っていたとしても違う銘柄かもしれないけど。

なーんてまた何かを期待して、妄想をして、結局会えなくて、心が虚しくなっていたな。その虚無を埋めようとして、人に会って、そしたらいつもiQOSを吸っている人が、紙煙草を吸っていて、あぁ。

 

なんて、私が言いたいことなんて、こんなことじゃなかったのにな。長々書いておきながらさ、こんなことが言いたいんじゃなかったんだな。

人生で一番好きだった人でもなく、紙煙草を吸う自分のことが好きな人でもなく、もうきっと、煙草を吸っている姿を見ることができない人だ。私はもうそこまで踏み込めない。いや、踏み込んだことなんてないのだけど。好きって難しいね。しんどいね。苦しいね。苦しくて噎せてしまいそうだ。